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張達 Zhang Da/ファッションデザイナー

1967年陝西省西安市生まれ
1990年西北紡績学院ファッションデザイン科卒業
8年西北紡績学院にてファッション史を教える
1997年イタリアのMITTEL MODA国際青年デザイナーコンペティションにてハイデザイン賞受賞
1998年ローマのデザイン会社にて約3ヶ月デザイン研修を受ける
1999年上海に拠点を移す
1999年~2002年陳逸飛アパレル会社にてデザイン担当
2002~2004年フリーランスのデザイナーとして活動
2004年12月アトリエParallel(中国語名『平行』)設立
2004年杭州明朗服装会社にて顧問を務める
2005年ブランド『没辺』設立
2010年よりエルメスによる新ブランド『上下』の兼任デザイナー

「太極拳のように見た目と実際の効果に大きなギャップを」 R:張達さんは、2005年にブランド『没辺』を設立されました。当時、中国では、デザイナーズブランドは今よりも少なかったと思うのですが、なぜブランドを立ち上げようと思われたのでしょうか?また、『没辺』にはどのような意味が込められていますか?

Z:『没辺』は、「境界、境がない」という意味があります。また、「デザインの可能性を開拓し続ける」という思いも込めています。当時、関わっていたアパレルの仕事が終了したこともあり、自分の考えを形にしたいと思いブランドを立ち上げました。『没辺』の一作目はちょうど春夏の時期ということもあり、シンプルなデザインにしたいと思ったんです。見た目が、服に見えない服をデザインはできないかと。皆が日常生活で意識している概念を覆すような、挑戦的な思いがありましたね。

R:アトリエParallel(中国語名『平行』)、この名称にはどのような意味が込められているのですか?

Z:当時、私は様々なことを手がけたいと思っていたんです。それらは互いに関係性を持つ場合もあれば、全く関係性のないものだったり。Parallel、平行、ある一つのことを手がけ、同時にもう一つのことを手がける。顧問という仕事をしながら、自身のブランド『没辺』も運営する。二つの路線でデザインに関わっていきたいという思いからつけました。

R:中国では、デザイナーズブランドの需要は少ないですよね。個人で活動することに不安はなかったですか?

Z:当初は別に不安などなく、結構リラックスしながら活動していました。ただ、ファッションデザインの場合、良いスタートがきれても、その先ずっと良い状態が保てるわけではないんです。医者やシェフのように、歳をとるに従って箔がつく、腕が上がるというわけではなく、デザイナーの場合、次第に腕が落ちていくというのが現状だと思います。

R:ご自身のデザインの特長は何ですか?

Z:中国と西洋の服飾には基本的に大きな違いがあるんです。 中国の服の裁断は、非常に平面的なんです。 今ではほとんど違いはありませんが、中国人の身体に対する捉え方と西洋人の身体に対する捉え方には違いがありました。中国人は、服で自分自身の身体を守る、隠す。ですから、身体にぴったりではなく、大きくて平面的な服を着る。西洋とは全く違いますね。西洋のドレーピング(人体、または仮ボディーに布を直接かけて型作りをすること)は、後々西洋から学んだものなんですよね。『没辺』の第一作目では、デザインは平面的だけど、着たら自然と起伏が生まれるという服を作りました。

R:なるほど、中国と西洋では服に対する捉え方がそもそも違うんですね。

Z:ええ。このことは、中国人がある問題点を考える際の特長の一つとも言えると思うんですね。見た目と実際の効能に大きなギャップがあるという。例えば、「太極拳」。ゆったりとした動作なんだけれど、実際は人を傷つけることもできてしまう。実際の効力が見た目より強くあって欲しいという、中国人の思考の一つでもあります。私の服も同じで、例えば、襟元と袖との間隔を長くしたり、短くしたりします。着た時に布が引っ張られ、自然と皺が生まれます。西洋の製法のように作り出した皺ではないんです。中国人は比較的、自然に生み出されたものをすばらしいと捉える傾向にありますからね。ですから、『没辺』の第一作目では、完全なる平面、着る前と着た後での大きなギャップ、そして、服にできる皺やたるみを自然に生み出す、この三点を特徴にしました。

R:お話を伺っていますと、中国人の顧客が求める服作りをされているようですね。張達さんは、中国人という意識をデザインに反映しますか?

Z:反映していると思いますよ。ただ、日本のファッションデザイナーの影響力は強いですね。

R:以前インタビューをした王一揚さんも同じことをおっしゃっていました。

Z:特に私が学生だった80年代後半、当時は、日本のファッションデザイナーの黄金期でしたよね。例えば、山本耀司や川久保玲など。彼らは当時、多くの人に影響を与えました。何故、彼らにそれほどの影響力があったのかといえば、それは日本の美学が入っているからだと思うんです。 「自分自身を試し続けるという姿勢、励まされる」 R:張達さんのおっしゃる「日本の美学」とは、具体的にどのようなものですか?

Z:あくまでも私個人の見解ですので、それが正しいかは分かりませんが、例えば、山本耀司、彼のデザインは非常にゆったりしていて、ピュアで静寂な感じがします。それは「合気道」みたいだなって思うんです。合気道と山本耀司の服は非常に似ている。静寂な時は非常に静寂なんだけれど、一度動き出したらハイスピードで動き出す。彼が使用する色は単色で、サイズは大きく、人間を包みこみます。それは、日本だけでなく中国にも言えることなのですが、どちらかと言えば、表に出ない含蓄があるんです。一方、川久保玲のデザインですが、混乱、錯乱といったらいいでしょうか。ご自身も錯乱が好きと言っていましたが。 山本耀司の服が花のように静寂だとすれば、 川久保玲の服は日本刀のようと言えばいいでしょうか。

R: 「花」と「日本刀」ですか。面白いです。それでは、張達さんの目から見て、日本のデザイナーと欧米のデザイナーがデザインする服には違いを感じますか?

Z:ええ、全く違うと言えるでしょうね。日本のデザイナーには、独自の言語、哲学、美学がありますから。また、80年代末、ヨーロッパのデザイナーたちも独自の新たな美学を生み出したんです。ですから、当時、ファッション界の転換期といえる思います。一つは、日本人デザイナーが生み出した道、もう一つは、西洋のデザイナーが生み出した道。ファッション史において、彼らの存在は非常に重要なんです。中国の多くのデザイナーが、日本のデザイナーの影響を受けています。独自の言語や美学がなければ他者と違うものは生まれないし、自分自身の地位も確立されないということを日本人デザイナーから学びましたね。

R:それでは、張達さんの思う「いいデザイン」「いいデザイナー」とは?

Z:日本のデザイナーは、物事の別の見方を提示してくれたと思っています。また、彼らに共通しているのは、着る人に多くの選択肢を与えるんです。川久保玲は、とても勇気あるデザイナーだと思います。自分自身を試し続けるという姿勢は、精神的に励みになります。ある人の出現により物事に変化が起きるといった、彼女のような変化が起せるデザイナーが「いいデザイナー」なのかもしれませんね。

R:中国には張達さんのおっしゃる「いいデザイナー」はいますか?ご自身も「いいデザイナー」になりたいと思われますか?

Z:中国には、まだ一人として「いいデザイナー」はいないのではないでしょうか。私ですか?(笑)何とも言えないですね。ただ、私がずっと興味を持っているのは、これまでにない可能性を探るということです。デザイナーとして、新たな試みを続けるべきだと思っています。そういう意味でも、海外の巨匠デザイナーがデザイナーとして仕事を続け、成功し続けていることは非常に励みになりますよね。

R:初めて日本のファッション、ファッションデザイナーに触れたのは、大学に入学してからですか?

Z:そうです。大学の図書館で見た雑誌や本で知りました。初めて彼らがデザインした服を見た時、とにかく驚きましたね。当時の中国のファッションと言ったら……(笑)。というより、ファッションという概念がありませんでしたからね。初めて見た日本のデザイナーは、三宅一生でした。特に、彼のプリーツシリーズはそれまで見たことのない服だけに、一体どうしたらこのような服が生まれるんだろうと。その後、 山本耀司、 川久保玲のデザインに触れました。当時、彼らのデザインが何を表現しているのかは一切分からず、ただデザインのインパクトの強さが印象に残りました。もちろん、その前に見た、ヨーロッパのデザイナーのハイファッションも非常にびっくりしましたけどね。その時初めて、衣服を通して自分の思いを表現することができるんだと確信しました。

R: 張達さんは1999年から上海を拠点にされていますが、上海はやはり、中国のファッション中心都市といえるでしょうか?

Z:今のところは、ファッション中心都市=上海といえるんじゃないでしょうか。ただ、今後はなんとも言えないですね。

R:王一揚さんも同じお答えでした。何故、そう思われるのでしょう?

Z:ひとつ言えるのは、何故、上海から多くのファッションデザイナーが誕生するのか。それは、上海や浙江省、江蘇省は、紡績業が非常に盛んで、職人たちは北部の人間より細やかな作業ができるという理由があると思います。また、昔から上海の人たちは、服を非常に重要視しています。中国では、我々のようなデザイナーは、自分のデザインした服を販売するには、自分でショップを持つしかないんです。上海のような狭い街にショップを持てば、回転も早いんです。一方、北京のような広い街だと、なかなか難しい。かと言って、デパートで販売するには、それなりの高額な資金が必要になります。そのような理由から、多くのファッションデザイナーは、上海を拠点にするんです。



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