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八股歌 8GG/マルチメディア・デュオ

富鈺(男)1971年 山西省大同生まれ
1994年北京師範大学地理学科卒業
賈海清(女)1971年 北京生まれ
1994年北京師範大学地理学科卒業


卒業後、賈海清、2年間中学校で地理の教師を務める
富鈺、その頃、いくつかの職を転々とする
1997年二人で創作活動をスタート
1999年アトリエを設立し、八股歌の名前で活動開始
Panasonic、 Microsoft 、Apple 、Motorolaなど企業からのウェブデザイン、イベントデザインなどを手がける
2003年フランスポンピドゥー・センターにて演劇《儀式》とのコラボレーション
2004年上海ヴィエンナーレにてインスタレーション《折射》を発表
2004年日本京坂神外客誘致実行委員会からの依頼で、中国国内で放映する日本の観光誘致CMを制作
2005年イギリスのART LINKS主催のプロジェクトに参加
2005年中国国内で開催された展覧会、大声展のオープニングパフォーマンス
2007年横浜のBankART1929にて、モダンダンスグループとのコラボ
2008 年adidasのプロジェクトで《吹牛》を発表
2011年エディンバラ・アート・フェスティバル、成都ビエンナーレなどに参加
2012年、2011年度トーキョーワンダーサイト、クリエイター・イン・レジデンス・プログラムにて作品発表


http://www.8gg.com

「環境問題を考えると、チャンスって何になるの?」 R:北京から特急列車で1時間20分、そしてバスで1時間の場所にあるお二人のお住まいにお邪魔しています。北京からこちらに引っ越されて、まだ数ヶ月しか経っていないとのことですが、まず初めに伺いたいのは、中国のアート、カルチャーの発信地といわれている北京を離れ、こちらの海沿いの街に移り住もうと思われたのは何故でしょうか?

F:きっと、バスを降りて何もないこの街を見てこの質問が思いついたんじゃないですか?(笑)本当に何もない所ですからね。

J:実は、この部屋を購入した二ヶ月後に初めてここを訪れ、こちらの環境を見て後悔したんですよね。でも、買ってしまいましたから、後に引けないということで生活することに決めたんです。ただ、北京は本当に空気が汚いですからね。それに、特に私は、以前から北京を離れたいという思いが強かったんです。というのも、生まれも育ちも北京ですから。一カ所にずっといるというのは、基本的に好きではないんです。どちらかといえば、あちこち移動する生活の方が好きなんですよね。でも、 当時、富鈺が北京を離れることに賛成してくれなかったんです。 ただ、彼も北京の汚さに耐えられなくなり、それで北京を離れることに決めたんです。

F:なんでこんな所に引っ越したのか不思議がる人もいますが、理由は本当に簡単で、北京の汚さに耐えられなくなったということなんです。人によって求めるものって違いますよね。私たちに今一番必要なのは「快適さ」なんです。初めてここに来た時は不安もありましたよ。ご覧の通り、書店もありませんし、生活は不便かもしれません。今、玄関のドアも部屋の窓も開けっ放しにしていますが、北京で開けっ放しにしていたら、埃や砂がすぐに入ってきます。もし水の汚染がひどかったら、水を購入すればいい。寒くなったら、服をたくさん着ればいい。でも、空気は自分たちではどうしようもできませんよね。

J:北京でアイスを買って、歩きながら食べようとするとよく「家に帰ってから食べなさい。埃がつくから」って言われたものです。ここで生活を初めてから、大自然って本当にすばらしいと実感しています。目の前に海、後ろに森。毎日、日の出、日没の変化を見ていると、生活って本当に豊かなんだと思いますね。外出先から家に帰り、目の前の海を見ると、毎回嬉しくなるんですよね。

R:生まれも育ちも北京の賈海清さんですが、お話を伺っていると北京が好きではないようですね?

J:嫌いですね。私が子供の頃は、北京には緑が溢れ、とても気持ち良かった。今の北京には、「汚い」以外だと「多種多様な生活」しか思いつかないですね。子供の頃は、北京が大好きだったんですけどね。

R: 富鈺さんはいかがですか?

F:私は子供の頃、大同で生活していましたが、姉が北京にいましたので家族でよく遊びに来ていました。また、高校生の時もよく遊びに来ていましたね。ですから、北京は好きでした。いつも、北京に行くのを楽しみにしていました。北京に対する思い入れは強かったですね。でも、特にここ2年でしょうか、知らず知らずのうちに北京が嫌いになっていました。2001年、北京オリンピック開催が決定したあの時は、他の中国人同様、心から喜びました。でも、北京オリンピック開催前には、北京を離れたいという思いが強くなりました。

J:どのように形容したらいいのか分からないくらい、北京の環境はひどくなったと思いますね。利益を優先するあまり、色んなことを急ぎすぎたんです。

R:これまで9名のクリエイターにインタビューをしてきましたが、ここまで北京が嫌いと言った方はいませんでした。それでも、北京で好きな場所はありますよね?

J:もちろん、好きな場所はありますよ。例えば、鼓楼東大街(*)周辺かな。

F:南鑼鼓巷(*)もいいですね。あそこは、私たちにとって理想的な場所といえるかもしれないです。賑やかなんだけど、人間と人間の距離が近い。北京には、このような環境は他にないかもしれないですね。

J:もうひとつ、北京の良さでいうと、他の都市よりも面白い人たちが集まっているところですね。とても気楽に付き合えるんですよね。

R:そして、今北京は、クリエイターたちにとって中国で最もチャンスの多い都市と言えますよね。

F:もちろん、北京は昔から文化の中心地でしたし、チャンスの多い場ではあります。このチャンスを重視している人の方が多いとは思うのですが、私たちにとっては、文化の中心であろうがなかろうが関係ないんです。それよりも、呼吸すらまともにできない場所なんです、今の北京は。

J:今の私たちにとって、多くのチャンスよりも、毎日の生活の方が重要なんです。毎日、気持ちよく生活できればそれでいいんです。北京にいた頃、霧が出ていると、とても憂鬱な気分になったものです。今のこの場所でももちろん霧が出ることはありますが、今日は湿気が多いのかなって思うんです。でも、北京の霧って……何か体に悪いものが含まれているんだろうなって思ってしまう。(笑)環境問題を考えると、チャンスって何になるの?と思ってしまいますよね。

R: それでも、北京を離れてしまったことで、おふたりの活動に影響は出ませんか?

F:それほど大きな影響はないですね。北京で生活する多くのクリエイターが、北京で成功したい、アートに自分の人生がかかっていると考えていると思うんです。そういう考えのクリエイターは、文化の中心地で生活する必要があるでしょうね。でも、私たち二人にとって重要なのは、心から毎日の生活を楽しむことなんです。一回のライブイベントが成功するかどうかより、毎日、おいしい物を食べ、美しいモノが見られればそれでいいんです。毎日の生活の方が重要なんです。

R:それはきっと、お二人がすでに成功されているから言えるのでしょうね。

J:いいえ、そんなことはないですよ。それとは全く別のことだと思います。 「いかなる外部の事柄も私たち二人とは関係ない」 R:初めて海外に行かれたのはいつですか?

J:2001年の日本です。

F:当時、私は広告会社に勤めていました。ちょうど、Panasonicからウェブサイト制作の依頼がきたんです。それで、日本に行きました。

R:初めての日本の印象はいかがでしたか?

J:日本に滞在中は、それほど強烈な印象は持たなかったのですが、北京に帰ってから、日本が恋しく思いましたね。その時、大阪、神戸、京都、名古屋、東京に行ったのですが、名古屋では、あるお寺の僧侶の家に宿泊したんです。日本の仏教のこと、僧侶の生活などを知ることができました。日本の僧侶は結婚できるし、お肉も食べていいんですよね。また、お金持ちだということを知りました。(笑)

R:北京に戻られてから、日本に対する興味が強くなっていったんでしょうか?

J:日本への興味は昔からありましたが、日本に行って感じたのは、日本人も中国人も外見はあまり変わらないと思いました。同じアジア人ですからね。その後、ヨーロッパにも行きましたが、ヨーロッパに行くと外国に来たという感じを強く受けますが、日本は外国という感じがしなかったですね。

F:原宿を訪れた時、おしゃれな若者がうろうろしているので、てっきり日本政府がわざわざ彼らを雇い、おしゃれな服を着せ、街を歩かせているのかと思いました。(笑)とても印象に残っていますね。

R:お二人は知り合ってから今まで、どれくらい一緒にいるんですか?生活も仕事も一緒ですよね。

J:私たちはもう18年の付き合いになります。今では、24時間一緒ですね。二人一緒に時間が過ごせるのは、とても嬉しいです。1999年にユニット活動を始めましたが、翌年の2000年には距離を置き、それぞれ別の仕事を始めたんです。でも、なんだかとても変な感じがしました。その後、2001年に再び二人で一緒に仕事をすることにしたんです。二人で活動をした方が、私たちには向いているんだと再確認しました。

F:今では、唯一離れる時といえば、それぞれ実家に帰る時でしょうか。それ以外の時間は、24時間一緒ですね。

R:18年ですか。とても長いお付き合いですね。お互い、様々な影響を受けていると思うのですが、具体的に相手のどのような点に影響を受けましたか?

J:私が富鈺から最も影響を受けたことといえば、一人の悲観主義者が楽観主義者に変わったということでしょうか。このことは、生理的にもはっきりと現れていて、白髪が黒髪に戻りましたし、不眠症も自然と直りました。

F:私の場合、生理的にいうと、痩せていたのが太りだし、彼女の不満をかい、再び痩せたということでしょうか。(笑)私たちは、好きな物が全く同じなんです。また、行った場所も触れたものもすべて同じなんです。

J:この間、ふと思ったんですが、私たち二人は、各自読書する以外の娯楽、例えば映画を見たり、音楽を聞いたり、どれもいつも一緒に楽しんでいるなって。

R:本当に24時間一緒にいらっしゃるんですね。それでは、北京を離れられてから、これまで付き合いのあった北京の友人やクリエイターたちとは、メールや電話でのやり取りですか?なかなか会うこともできないと思うのですが。

J:そうですね。でも、北京にいた頃から、私たちはほとんど外部と交流をもたなかったんですよね。ですから、友人たちはよく私たちのことを「隠遁者」と言っていました。(笑)ですから、北京にいた頃と今のこの場所での生活って、あまり変わらないんですよ。

R:また、ここ数年、中国人は本当に多忙な生活を送っています。特に、クリエイターたちはチャンスが一気に増えたことで、「忙しい」「忙しい」と言っていますよね。でも、お二人の生活や考え方を伺い、彼らとは全然違うなと感じました。生活を楽しんでいらっしゃいますね

F:今の中国人は、皆、本当に忙しくしています。子供の頃、「外国の生活はリズムが速くて、中国の生活はスロー」と聞いていました。でも、今の中国は、若者だけに限らず、年配者たちも非常に慌ただしい生活を送っています。立ち止まって、周囲の環境に目を向ける余裕もなくなってしまっている。

R:そうですね。確かに、いつ頃からか中国人同士の挨拶も「どう?最近忙しい?」に変わりましたよね。

J:以前は「ご飯食べた?」だったのにね。(笑)それに、今の大部分の中国人には趣味がないんですよ。音楽鑑賞やダンスを見たり、美しいものに触れようとしない。何故、私たちが中国であまりライブをしないかというと、知り合いしか集まらないからです。見た目には非常に元気のいい中国のアートマーケットかもしれないけれど、大部分の中国人は、文化、アートを楽しもうとしない。彼らはひたすら「多忙」な生活を送るだけなんです。

R:それでも、中国のアートマーケットは気にならないですか?

J:中国のマーケットだけでなく、私たちを取り巻くいかなる外部の環境も、私たちとは関係のないことだと思っています。



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